誰かに離婚理由を尋ねられた時
誰かに離婚理由を尋ねられた時、一番多い答えが「性格の不一致」だと伺います。私は、自分が離婚してみるまで、「性格の不一致」という簡単な理由で、人は離婚するのだということが信じられずにおりました。
私は、離婚が成立してから約半年になりますが、現在5歳の長男、2歳の長女とともに暮らしております。職業は医師をしております。
夫と出会ったのは、大学時代に同期だったということもあり、10年の交際期間を経て結婚いたしました。
当時の夫は、やや我が強いところがありましたが、概ね優しく、経済観念もしっかりしているところもあったので、結婚後もこれまで通り、仲よく暮らしていけるものだと思っておりました。
結婚と同時にクリニックを開業することになり、資金繰りやクリニックのデザイン、診療スタイル、マニュアルの作成、施工業者との折衝等、多くの業務をこなす傍ら、結婚式の準備をも進めなくてはいけない日々で、それは大変な毎日でしたが、これらの業務を夫は私に全て丸投げし、話がまとまりかけた頃になると口を出し、それまで進行していた事柄が停滞させてしまうという事ばかりしており、結婚が決まったというものの、交際していた時の夫とは違う一面を見た私は、これからの結婚生活に不安を感じずにはいられませんでした。
その後、金融機関から開業資金の借り入れをするために、結婚式前に入籍をいたしましたが、そこでも結婚前との夫の変化を感じる出来事がありました。
入籍する直前までは、私のことを○○ちゃんと呼んでいたのが、入籍した瞬間から呼び捨てに変わり、夕方には「おい」に変わっていました。その日は入籍のお祝いにと、私の両親が実家での夕食に招待してくれたのですが、そこでも、夫の私に対する態度の変わり様に私の父が激怒するという場面も見受けられました。
しかし、すでに入籍は済ませ、結婚式やクリニックの開業日は決定しておりましたし、10年も交際して結婚に至った私としても、夫の性格の変化は気のせいだと、呑気に考えておりました。
その後、結婚式も行われ、クリニックも開業し、順風満帆の日々と思われた矢先、夫の母親が毎日のように夫に電話をかけてきては、
「お前は親を捨てた」、「お前が結婚して自宅を出てからは、寂しくて死ぬことし考えていない」などと吹き込むようになりました。最初は、うちの母親にも困ったものだという様子の夫でしたが、連日母親から死を連想させるような脅かしの言葉や、私と結婚したことで、夫と両親は引き裂かれたかのような内容を聞かされた夫は、徐々に義母の話に傾聴するようになり、それが私への言葉の暴力に変化していきました。
夫は、事あるごとに「お前のせいでこうなった」というようになり、睡眠薬や精神安定薬を薬の業者から個人的に購入し、昼夜を問わず服用するようになりました。私は、薬を見つけては、夫の手の届かない所に隠すという事を続けました。常用性のある薬に手を出してしまったら、先はどうなるのかが予想できたからです。私と結婚したことで、夫の母親が悲しんでいるのならば、私にできる嫁としての務めを果たすことが、誠意を見せることだと思い、片道10時間をかけて、2か月に1度会いに行っておりました。学会が地方都市であった時も、途中で夫の実家に寄って、家業の手伝いをして、また学会会場に戻るということをしたりもしました。
義母が「孫はまだか」という事を夫に連絡してくると、夫は「子供ができないのは、お前の体がおかしいからじゃないのか。」と言い、義母は、私への電話で「夫の弟夫婦には、お兄ちゃんのところに子供ができなくても、気にしないで先に子供を作りなさいって言っておいたから。」と言いました。
私たちに子供ができれば、義母も認めてくれるし、変わってしまった夫も元の優しい夫に戻ってくれるかもしれない、と私は真剣に不妊について調べ始めました。その間、夫の暴言は私に対するものばかりではなくなり、クリニックの従業員や、患者様、私の両親、実家の家族にも及び始めました。また、クリニックを代診のドクターに任せて、パチンコ通いをするようになり、ひどい時は、1日に20万、30万を平気で使うようになったのです。夫は、自分がパチンコ通いをするのは、お前が悪いからだとも言い、義母も同様に「家に帰りたくなくなるような家庭を作ったあんたが悪い」と言い放ちました。
そんな矢先、妊娠が発覚しました。結婚してから4年目のことでした。
妊娠の経過は順調でしたが、悪阻が重く、入院することになりましたが、夫はお見舞いに来ることもなく、相変わらずパチンコ通いの毎日でした。退院してからも、赤ちゃんを迎える準備を手伝うわけでもなく、パチンコか、テレビゲームばかりしている夫を見ながら、日に日に大きくなっていくお腹とともに私の夫に対する不満、結婚生活への不安も膨らんでいきました。
待望の長男が誕生し、結婚してから初めて、幸せな毎日が送れる、これからが私たち家族のスタートだと、明るい気持ちになったのもつかの間、結局状況は悪くなるばかりでした。それから長女を授かりましたが、そのころには夫婦生活も全くなくなっておりましたので、自然に授かったわけではありません。長男が誕生してから、常に離婚を考えて生活しておりましたので、離婚した後で、長男が一人っ子だと寂しくなるだろうと思い、インターネットや排卵検査薬、基礎体温などで入念に調べ、この日だという時に、私が夫にそれとなく子供をもう一人欲しいと告げ、授かったこどもなのです。よく2人も子供を授かりながら、なぜ離婚したのか、と聞かれることばかりですが、実はこのような理由で2人目をつくったのです。夫との夫婦生活は後にも先にもそのたった1回だけだったので、無事に授かることのできた長女は強運の持ち主なのかな、などと、今では笑い話になっております。
しかし、2人目を授かってからも夫の言葉のパチンコ通いは悪化するばかり。クリニックもアルバイトの医師に任せきりで、学会や医師会の会合に行くと嘘をついては、パチンコに通い詰めるようになりました。さらに、私に対する言葉の暴力も日を追うごとに酷くなっていったのです。夫は結婚前には考えられない程感情的な性格だったようで、気にいらないことがあると、「離婚する」、「子供を置いて出ていけ」と頻繁に口にするようになりました。また、夫は幼少の頃、実家が貧しかったようで、何が何でも金持ちになりたい、楽をして金持ちになるにはどうしたらよいか、真面目に働いて金を稼ぐことは、馬鹿がすることだという偏った性格・・・今考えてみますと拝金主義だったようでした。そのような夫ですので、幼い子供2人を抱えているため医師としての仕事ができず、家庭で専業主婦をしている私は、まさに攻撃の対象となったのでした。
「働かざる者、食うべからず」という言葉は、夫からよく言われました。専業主婦でも、家庭を守ることは並大抵のことではありません。しかし、夫は毎日毎日、「ただ飯食っていやがる」「お前は楽していい身分だな」などと私を責め続けました。私は、いずれこの人とは離婚することになるだろうと頭のどこかでは思っておりましたが、実際に2人の小さな子供の顔を見ておりますと、自分達の諍いで子供たちの将来に悪い影響を及ぼしてしまうのはどうなのだろうと迷う気持ちもありました。私は医師という資格を持っているものの、母子家庭で子供たちを育てていけるのだろうかという不安もまた大きかったのです。
しかし、離婚を決意させる時がとうとうやってきました。
いつものように、些細な事で激高した夫は、常套句の「離婚する」という言葉を吐き捨てました。ところが、さらに当時まだ3歳になったばかりの長男に対しても、「パパとママは離婚するの。お別れしてもいいよね。」と発言したのです。長男は、何のことだかもちろんわかるはずもないのですが、言葉のニュアンスから感じ取ったものがあったらしく、「いやだ、いやだ」と泣きました。その瞬間、私の心の中で何かがプツンときれたのです。
いつもの言い争いの時のような頭にかっと血が上るような感じではなく、逆に血の気がひいていくような、何ともいえない冷静な自分がそこにはおりました。その時のような冷たい感情は生まれて初めての経験でした。私は、子供2人を連れて自分の部屋に行くと、すぐに、離婚に関する情報をネットで検索しました。インターネットには、「離婚」と検索するだけで恐ろしいほどの情報があふれています。離婚弁護士、離婚カウンセラー、離婚相談・・・たくさんのサイトの中から、私は、自身と同じような体験をされた方がいらっしゃらないかをまず検索しました。すると、私のような体験、夫からの言葉の暴力は、「モラルハラスメント」というものだということがわかりました。
すぐに「モラルハラスメント」に関する第一人者の先生が執筆された本を購入、1日で読み終えました。そこでわかったことは、「モラルハラスメント」は、暴言を吐く側(私の場合は夫)の生い立ちに深い関係があり、精神病気質ともとれる事象であること、治療方法は皆無で、被害者が「モラルハラスメント」から逃れるためには、加害者から離れること、つまりは離婚すること、離婚を決意したこと、別居しようとすることは、加害者にわかられないようにしないと、モラルハラスメントが悪化する恐れがあるという事、さらに、加害者は被害者のみならず、子供、親族にも矛先が向かう可能性があるということ、加害者が一旦ターゲットを決めたら、被害者を言葉や肉体の暴力によって抑圧し、最終的には、「私がだらしないから暴力を受けるのだ」とか、「私がだめな人間だから夫に酷い事を言わせてしまうのだ」と思うようになるという、マインドコントロールにも発展するということなどがわかりました。私は、本を読み終えたとき、あまりに符合することばかりで、背筋が凍るように恐ろしくなったことを覚えています。実際、私も自分がだめな人間だから・・・と思い始めていたからです。しかも治療法はない。友人の精神科のドクターにもそれとなく聞いてみましたが、やはり答えは、「モラルハラスメントを行う人間は治らない、ターゲットが変わるまで執拗に追い詰める」というものでした。
子供たちを守らなくてはいけない、と私は離婚を改めて決意しました。
弁護士事務所、司法書士事務所、離婚カウンセラーの事務所、あらゆるサイトをみました。そこでわかったことは、
①離婚時に子供をどちらが養育するかが争点になった場合、母親も仕事をしていることが優位に繋がる。
②離婚には、協議離婚、離婚調停、離婚裁判があり、きちんと話し合いができない相手との離婚の場合は、法律の専門家(弁護士、司法書士)に依頼して離婚を円滑に進めること。
③肉体の暴力を受けた場合は、小さな傷だったとしても診断書、写真を撮っておいたほうがよいということ。
④言葉の暴力のような、証拠の残らない者の場合は、日記や手帳に「いつ、どのようなことを言われた」とメモしておくこと。
⑤預貯金は、結婚前のものは財産分与の対象外になるので、自分できちんと保管しておくこと、子供の預貯金についても、自分が養育するつもりならば、きちんと保管しておくこと。
さらに、私のようなモラルハラスメントの被害者の場合は、離婚前提の別居が早急に必要であること、別居先を夫に知られないように細心の注意をはらうことが加わりました。
私は、最初に夫と離婚前提の別居をすることを考え、子供たちとの新しい住まいを探し始めました。別居というと、実家に身を寄せるのが普通なのかもしれませんが、モラルハラスメントの場合、加害者に住まいを知られてはいけないという注意が必要になるため、実家に帰るわけにはいきませんでした。モラルハラスメントの加害者は、ターゲットが自分の範疇から離れそうになると、表情を一転して優しくなり、自分の元に戻そうとします。そこで被害者が元に戻ったら最後、さらに悪い方向に進みます。もう二度と加害者の元から離れられないように、周囲から遮断されたような生活を強いられるようになるのです。私はインターネットで、引っ越し先と就職先を同時に探し始めました。当時はわずかな貯金がありましたが、住まいを決めるにしても、仕事をしていなかったら貸してくれるところなど皆無だったからです。引っ越しが完了するまでは、夫に知られないように、と引っ越し先は地方の都市にしました。私にとっても、夫にとっても縁もゆかりもない場所でした。そして、そこから働きに出ることを想定して、就職先もリストアップしました。インターネットの不動産情報で住まいを問い合わせ、同時にインターネットの求人サイトで勤務先に問い合わせるという事をしながら、法律の専門家に依頼した場合に必要な情報収集、預貯金の情報、保険関係、を行い、さらに離婚を考えるまでの経緯を文書にし、夫に暴言を吐かれた内容のメモも集めました。少しでもこちらに優位になるようにと、この頃になると、まさに家庭内別居の状態でしたが、掃除、洗濯、夫の食事作りはきちんとこなしました。後から、家庭崩壊の原因を作った、家事をしなかったなどと言われたくなかったからです。
その後、新しい住まいの内見と、就職先の面接を同日に行うべく、綿密にスケジュールを立てた私は、子供たちは実家に預け、夫には学会の研修会に参加するから1日留守にすると告げて、地方都市に赴きました。
幸い、面接の翌日に採用という返事をいただくことができたので、今度は不動産会社に連絡、就職先は決定したものの、まだ勤務前であること(勤務実績がないこと)、身元保証人がいないため、保証人会社を利用できないかという事をお願いしました。すると、担当の方も大変好意的に働きかけてくださり、なんとか住まいを借りることができたのです。
次に、私は弁護士事務所を訪れました。あらかじめインターネットの離婚サイトにて、弁護士や司法書士に離婚相談に行く時に必要な書類というリストがありましたので、それらを持って伺いました。担当弁護士は、私の話を聞くと、「財産分与は、住宅ローンやクリニックの開業ローンもあるから期待しないでください。慰謝料は、500万くらいは見込めると思います。」とおっしゃいました。私は、子供の養育権、監護権を強く希望しておりましたので、夫側の年収がはるかに多ければ、子供たちを取られてしまうかもしれないと思い、その旨を質問してみました。すると弁護士は、子供たちも幼いので、たとえ裁判になったとしても、親権はほぼ間違えなく母親になるでしょうとの見解を頂きました。そこで、着手金の50万円を支払い、離婚調停の申し立てをお願いしました。
住まい、仕事、弁護士に依頼と、ひとつひとつ離婚に向けて動き出しました。後は、夫に知られないように荷物を運びだすことだけです。身の回りのものだけを持ってでるであれば、それほど用意入らないのでしょうけれども、私は地方都市に引っ越しを予定しておりましたし、後から夫に荷物を送ってもらうなどということは考えられないことでしたので、夫に知られないように身の回りの物を段ボールに入れ始めました。段ボールに詰めては、クローゼットや押し入れに隠しました。引っ越し日までの2週間かけて私や子供たちの洋服、食器、おもちゃ、私たちの物すべてを段ボールに詰め込みました。夫は、その間まったく気が付きませんでした。それだけお互いに関心がなく、冷え切っていたのだと思います。夫が過ごしているリビングのサイドボードの引き出しの中身も空っぽ、家族の写真は段ボールの中、洋服も夫のもの以外はなくなっている、そのような状況にも夫は気が付かなかったのです。
子供は私が育てるという強い意志の証拠として、私と子供の住所を新しい住所に移しました。夫に新しい住所を知られたくないという気持ちがありましたが、弁護士に依頼している以上大丈夫だと、弁護士にも言われましたし、長男の保育園入園の手続きにも住民票の移動は必要不可欠だったため、予め移動しておいたのです。
準備は確実に行いました。失敗は許されないと、何度も頭の中でシュミレーションしていました。弁護士からは、引っ越し当日はいつも通り夫を仕事に送り出すこと、家を出る際には、手紙を残すこと、とアドバイスされました。手紙の内容は、
「あなたと離婚するために別居いたします。離婚に関しては弁護士に依頼してありますので、弁護士から連絡がいくと思います。2人の子供たちは、私が責任を持って育ててまいります。今までありがとうございました。
平成○年○月○日 ○○様 ○○○○」
という指示を頂き、その手紙のコピーも取っておくように言われました。
そして私は、当時3歳と6か月の幼い2人の子供を連れて家を出たのです。
夫は何も知らず、職場から帰宅して非常に驚き、半狂乱になって私の実家を訪ねたり、私の親族の家にも行ったり、私の携帯電話に電話をしてきたりと大変な騒ぎでした。もちろん、私の携帯電話は着信拒否にしてありますし、実家や親族にも「知らない」というようにお願いしてありました。でも、私は遅かれ早かれ住民票から私たちの住所が判明するだろうと落ち着かない気持ちでおりました。私のようなモラルハラスメントの被害者や、身体の暴力を受けた女性のために、自治体やNPO法人が運営しているシェルターがあります。そのような施設に行けばよかったかしらと、身の安全を心配したり、本当に落ち着かない気持ちで過ごしました。
引っ越しした2日後から、子供たちを保育園に預け、私は働き始めました。子供が小さいので、はじめは非常勤での勤務でしたが、徐々に勤務時間を増やし、2か月後にはフルタイムでの常勤になりました。いずれ調停が不成立となって親権を巡って裁判になってしまった時に、少しでも不利にならないようにと思ったのです。
ちょうどその頃、夫の元に家庭裁判所から離婚調停の連絡が届いたようでした。夫はそこで初めて私たちの住所を知り、訪ねてきたのです。
夫の態度は表向きは神妙な感じでしたが、口を開いた言葉には、やはり根底は変わっていないと思わせるものばかりでした。夫の話を要約すると
①うちのクリニックで勤務している代診のドクターの妻が家庭裁判所の調停員だから、離婚調停を取り下げてほしい。
②子供と離れたくないから、離婚はしたくない。
③妻と子供に出て行かれたと近所の人々に噂されている自分の身にもなれ。
④お前が子供を育てていけるのか。子供を医者にするのには1億、2億は当たり前にかかる。その金をお前に作れるはずもない。
⑤貧乏な中で生活する子供たちは不幸だ。
などというものでした。
私は、夫の元に戻るつもりは毛頭ありませんでしたので、言いたいことを言わせるとすぐに帰ってもらいました。その後、弁護士にこの事を報告、調停員の問題を報告すると、「ありえない話」と一笑にふされてしまいました。
しかし、夫はその後も手紙や、私の親族を通じて「調停を取り下げてほしい」ということを執拗に伝えてきました。あまりにもそのことにこだわったことと、調停を取り下げた後は協議離婚でも構わないといい始めたこと、離婚調停は調停を申し立てられた側の現住所の所在地の裁判所で行われるため、私が遠方まで毎月出向かなくてはならず、仕事の問題や、旅費の問題等で難しい面もあったので、ずいぶん悩みましたが、一旦取り下げることにしました。弁護士に、調停取り下げの依頼をしたところ、着手金の50万円は返金しないと言われ、少しでも返金していただけるものと思っていた私は驚きました。
さらに私を驚かせることが起きたのです。
ある日、一通の配達記録郵便が届きました。
差出人は、東京の大手法律事務所でした。何の手紙だろうと封を開けてみると、夫が依頼した弁護士名で、私が子供たちを連れて別居したのは、悪意の遺棄に該当するとし、夫が協議離婚を申し入れているとのこと、よって話し合いをしたい旨、該当弁護士まで連絡しろとのことでした。調停を取り下げたのは私で、その後協議離婚に向かうのは明らかでしたが、悪意の遺棄にあたるとして、私をやり玉にあげようとしている夫に、はめられたと思わずにはいられませんでした。しかも私は、調停を取り下げた時点で、もう弁護士に依頼しているわけではありません。新たに依頼する費用もありません。大手弁護士事務所からの手紙には、10名にわたる弁護士が名を連ねています。私は、自分の愚かさに足元をすくわれたような気分で、その日は一睡もできませんでした。子供たちの寝顔を見ながら、この子供たちを夫に取られてしまうかもしれないという不安が胸を過ったとき、負けたくないという強い気持ちが前に出てきたことを覚えております。
翌日、夫側の弁護士に電話連絡をいれました。事務所に来いというので、私も離婚に関する資料を持参し、弁護士事務所を訪ねました。
夫側の弁護士は、「私が悪意の遺棄をしたことで夫は心身症にかかり、精神科を受診している。その証拠の診断書もあり、夫からは500万の慰謝料を請求するつもりだ。」と告げられました。さらに追い打ちをかけるように、「子供たちの養育権、監護権は夫が強く希望している」とも告げられました。私は、育児も一切手伝わず、パチンコ通いばかりしていた夫が、子供たちの養育権を主張してきたこと、加えて精神科の診断書まで取って、私に慰謝料を請求するつもりだったというその計算高さに、怒りを通り越して言葉も出ない程でした。しかし、言われるままになっていてはいけません。私は、これまでの経緯を記した資料、家庭の財政状況(貯金通帳のコピー、生命保険に関する資料、年金、ローン、車等)の資料、モラルハラスメントに関する書籍、人物相関図を夫側の弁護士に渡し、慰謝料なんて支払うつもりもないし、子供たちの養育権は渡さないと主張しました。初回の面会はここで終了しました。
翌月にも2回目の弁護士との面会がありました。夫は、慰謝料を請求する主張は変わらない、子供に対しても同じ、との見解でした。さらに、財産分与は一切なし、夫と共同名義で購入済みだった土地も、自分によこせと、さらに要求はエスカレートしておりました。私も、前回同様、自分の主張は曲げるつもりはないと強く言うと、弁護士は「あなたが折れないと、裁判になりますよ」と言いました。私は「裁判になっても構いませんから」と告げ、2回目の面会を終えました。
すると、翌月また弁護士から連絡があったのです。裁判を避けたい夫側が、もう一度協議させてほしいとの連絡でした。
3回目の面会では、私の資料に目を通してくれた夫側の弁護士から、逆にアドバイスを頂くなど、大変友好的に話は進みました。夫側が主張していた慰謝料はなしとなりましたが、子供の養育権だけは譲らないというのです。私ももちろん断固拒否し、3回目の面会は終了しました。
翌月4回目の面会がありました。夫は、母子家庭になって、貧乏になるのは目に見えているのに、お前に2人の子供を育てていけるのかという、非常に腹立たしい内容を告げてきました。自分には金がある、だから子供をよこせというのです。私は、毅然として子供の養育権は渡さないと主張しました。
5回目の面会では、弁護士が「もし子供たちをあなたが養育していくことに決まった場合、養育費はいくら希望するか」ということを尋ねられました。私は、離婚に関するサイトや、書籍を読んで、最近の養育費は裁判所が作成した年収による表を元に決定されることが多いと理解しておりましたので、夫の収入(年収1200万)と私の年収(800万)から判定した養育費12万を希望いたしました。本当はもっと多いに越したことはなかったのですが、拝金主義の夫が支払うはずもありませんし、これ以上話し合いを長引かせたくなかったので、この表に基づいた額を希望し、この回の面会は終了いたしました。
6回目の面会では、夫が12万の慰謝料を支払いたくないとの見解が示されました。その半額ならというのです。ここではっきり夫の考えがわかりました。夫は、子供がかわいくて手放したくないわけではなかったのです。単に養育費を支払いたくなかっただけだったということです。私は12万を強く希望し、面会は終了しました。
7回目になると、もうすでに弁護士と話し合いを開始して8か月が過ぎておりましたので、遅々として進まない展開に弁護士も私もいささかうんざりし始めておりました。そこで、私は主張してきた12万の養育費を10万に値下げすることで、この状況を打破することができればと、譲歩案を持ち出しました。
さらに、養育費に関すること、離婚の取り決めを公正証書にすることを希望しました。独自に調べた結果、養育費の不払いは多く発生しているとのことでしたので、夫の性格からしても公正証書は必須と思い、主張することにしました。
8回目の面会では、夫が公正証書の件に関して、拒否しているとの報告がありました。しかし、私は公正証書にしないのであれば」これまでの話し合いはなかったことにしてほしいと強く主張しました。
9回目の面会で、夫が公正証書を交わすということに同意をしたとの報告を受けました。
それから1か月半ほど経過して、私たち夫婦の協議離婚が成立しました。私が別居してから1年半、夫側の弁護士と初めて面会してから1年が経過しておりました。そこで決まった事項は、2人の子供の養育権、監護権は私にあるということ、子供たちとは月に1度面会交渉させる(場合によっては宿泊を伴う)ということ、共同名義の土地を私が放棄する代わりに、夫は200万を支払うということ、
別居している間の婚姻費用分担請求は夫側に請求しないということ、預貯金に関しても財産分与はなしということ、でした。
離婚は、結婚よりもエネルギーが必要だと言われますが、実際に経験してみますと、本当に時間とエネルギーが必要だと思います。早く離婚したい、精神的に楽になりたいと思うばかりに、相手方の主張に簡単に同意してしまったり、妥協してしまったりしてはいけないと私は思います。私は正直、自分の離婚交渉(離婚協議)に後悔していることもあります。妥協せず自分の意見を主張し続ければよかった、夫のいう事に耳を傾け、調停を取り下げなければよかった、きちんと法律の専門家にお願いすればよかった、今となっては遅いことばかりですが、本当に悔やまれてなりません。
離婚成立の翌月に、夫から「再婚することになった」との連絡があったのですから。
離婚をお考えの皆様には、後悔することのない、未来につながる離婚をしていただきたいと思っております。世の中にはインターネットや書籍など、情報を収集する術はたくさんありますが、やはり法律の専門家に相談するのがベストだと思っております。
私の経験からも、離婚には
①弁護士などの専門家
②体力
③気力
④公正証書
⑤自分のこれからの輝かしい未来をイメージして動く
⑥相手に情けはかけない
ということをよくご理解いただければ幸いです。