素直になれなくて…ふたりの幸せのために
私は元夫と実兄が経営するパブスナックで出会いました。定職は持っていましたが兄のお店と言うこともあり仕事の合間に手伝いをしていた時のことです。数人の友人と彼女を連れて元夫は上機嫌でお店に入って来ました。どこかですでにお酒を飲んでいたのでしょう。初めて来店した時からとてもフレンドリーな仲間たちと言う印象を持ちました。でも、その時すでに彼女と上手く行っていなかったらしい元夫はあからさまに彼女に冷たい態度を取っていたのを覚えています。
上手く行かなくなっている彼女と仲間と一緒に過ごせるのも少し違和感はありました。私にはとても真似出来そうもないからです。もちろん、私にも付き合っている彼氏がいたので元夫のことを特別な存在として意識した記憶はありません。兄のお店を手伝っている時だけが元夫との時間でした。いつも一緒に来るメンバーがほぼ同じだったこともありお店を閉めてから皆で飲んだりするようになって行きました。兄姉を含め私が元夫たちと仲良くなった頃には彼女ともお別れしていたようで初回のみでその後は彼女をお店に連れて来たことはありませんでした。
そんな関係が数か月続いて個人的に会うようになって行き「好きになってもいい?」と前置きをされ告白されたことを覚えています。私の兄は付き合っていた彼氏のことをあまり良く思っていなかったこともあり、私と元夫を後押しする形でいろいろなイベントに元夫を誘うようになっていました。
私は中途半端に二股をかけることに抵抗があったので付き合っていた彼に別れを告げました。半同棲していた彼だったので「別れる」と言っても簡単ではありません。荷物を取りに行くのも大儀でした。元夫は一緒に荷物の撤収に付き合うと言い手伝ってくれましたが、その時に私を幸せにしなければならないと改めて思ったと帰り道に話してくれました。
そんな素直な元夫に魅かれふたりの交際はスタートしました。ひとり暮らしをしていた彼の家に遊びに行くことも増えて行き深い関係へと発展して行ったのです。地方に両親が住んでいる彼との交際は気楽なもので仲間を含め良く遊びに出掛ける楽しい日々が続いていました。兄が公認していたこともありデートはもっぱら兄のお店が多かったように思います。
そんな楽しい日々の中でも今思い出せば少しずつふたりの価値観が違っていたことに気づかされます。彼が熱を出して具合が悪いと連絡があった時のことです。私は彼があまり自炊をしていないことを知っていたので簡単に食べられるものを買って彼の家へ出向きました。ありがとうと言うどころか「病気なのになんで手作りじゃないの?」と言うのです。彼の部屋の台所に立ったことがなかったので何が必要か分からなかったことを彼は理解してくれなかったようです。
きっと母親の手作り料理で愛情いっぱいに育てられて来たのだろうと実感する出来事でした。私の家は両親が共働きでゆっくりと家族で夕食を食べた記憶がありません。母がゆっくりと台所に立つ姿も記憶にないほどでした。休日も家族が揃うことはなく家族で出かけたり旅行をしたりした記憶すらないような家庭環境でした。育ちが違うと言うことは価値観がかなりに違ってしまうものなのだと他人事のようにそのとき感じました。
元夫の誕生日のときもちょっとしたすれ違いがありました。彼への誕生日プレゼントも一生懸命欲しがっていたものを探して来ても「結局自分で買ってるみたい」と言われたことを覚えています。普段のデートでも金銭的に自分の方が負担していることを言いたかったのでしょう。割り勘世代ではないハズなのに懐の小さな男だったとしか思えません。
そんな小さなすれ違いを繰り返す付き合いが続いていたとき彼が実家に帰省しました。その時を同じくして私の身体に異変が起こっていることに気づきました。避妊はしていたつもりだったのに妊娠していることが分かったのです。つわりがひどく起き上がることも出来ずに過ごしていました。元夫も私もまだ若く子供を育てて行くことに自信がありませんでした。妊娠したことを素直に喜ぶことも出来ずつわりが苦痛でしかなかったのです。
ふたりで話し合うと言うよりも暗黙の了解のように中絶をすることになりました。実家には彼と旅行に行って来るとウソをついて家を空けました。彼は病院への送り迎えをしてくれたけれど退院後にお姉さんの家に連れて行かれたのが今でも忘れられません。心も身体も傷つき彼に甘えていたかった私にとってはお姉さんの家に帰宅したことがあり得なかったのです。
数時間何も食べることが出来なかった私のためにお姉さんはご飯を作って待っていてくれました。そのことには感謝しましたが元夫に寄り添って何も考えない時間が欲しかったことも事実です。でも、そんな自分の素直な気持ちを元夫に言葉にして伝えなかった私にも責任があったのだと思います。素直な自分をさらけ出すことが出来ていれば彼にも私の気持ちが伝わったのかも知れないと今では思うのです。そんなモヤモヤした気持ちのままお姉さんのご飯をご馳走になっていました。元夫は「腹減ってたんだな」とまるで他人ごとのように私を眺めていました。
ご飯を食べ終わって少し落ち着いたところにお姉さん夫婦が私たちの前に改めて座り直しました。その時、何の因果かお姉さんは妊娠していました。私はふっくらしているお姉さんのお腹を不思議な気持ちで見ていたのを覚えています。お姉さん夫婦はゆっくり話を始めました。本当に結婚するつもりがあるのならちゃんとしたほうが良いと…そんな忠告をされ結婚と言う話が少しずつ進み始めました。
ふたりの間に結婚すると言うほどの覚悟があったのかどうかはいまだに分かりません。地方にいる元夫の両親と私の両親に話をし、結納が交わされることになったのはそれから間もなくのことでした。ふたりとも貯金もない状態で結婚式など考える余裕はありませんでしたが元夫が長男で私自身も女の子ひとりだったこともあり両親からお金を借りて結婚式を行うことを決めました。
そんな話が進み始めると自分の意志とは関係なく毎日が忙しい日々へと変わって行きます。一緒に結婚式場を決めて日取りや参列者などさまざまな決め事に追われる毎日でした。結婚式を待ちわびる喜びを感じた記憶はありません。気が付けば結婚式当日になっていたような気がします。
ふたりがと言うよりは両親や結婚式場の人たちがと言った印象を持ったことは事実です。親の見栄や式場の利益など私たちとは関係のないところで話がどんどん進むのです。それでも綺麗なドレスを着せてもらってお化粧をして緊張して座っていたことが懐かしく思い出されます。元夫は緊張からかお酒を飲み過ぎて酔っぱらっていました。
良き仲間に恵まれていた元夫はみんなに祝福されて嬉しかったのでしょう。地方からも親族が駆けつけてくれていました。式も披露宴も無事に終わり心置きなく過ごせる仲間だけになり二次会、三次会へと繰り出したのを覚えています。二次会、三次会の席では私の知らない彼の仲間も大勢来てくれていました。私はひとり席に取り残されていました。
元夫は私のことなど忘れて仲間たちと盛り上がっていたのです。彼にとって仲間はそれほど大切な存在だったのでしょう。仲間を大切に思えることはとても素敵なことだと思います。それでも私は寂しさから抜け出すことは出来ませんでした。
女性がすべてそう言う感情を持っているかどうかは分かりませんが、私は独占欲も強く焼もちをやくことも多い性格です。誰とどこで何をしていても私のことを頭の片隅において欲しいと思ってしまうタイプなのです。あの頃にそんな自分の性格を冷静に分析出来ていたら元夫を結婚相手に選ぶべきではなかったのかも知れません。その当時は若かったこともあり友達のような兄妹のような夫婦ごっこが始まってしまったのです。
元夫は当然のように二日酔いの状態でした。すでに用意してあった新居に戻ったのは朝方になってからのことです。ところがゆっくりする時間もないまま元夫の両親や親族たちに叩き起こされました。新婚旅行に出かけてしまう私たちに会って帰ろうと思ったのでしょう。
結婚すると言うのはふたりだけのペースで生きて行くことは出来ないのだと結婚初日から思い知らされた気がしました。眠いうえに疲れている私はどのように両親や親族を接待すべきかまったく頭が働きませんでした。当然、料理など作るものも冷蔵庫にはありません。しかし昼食時になって何も出さない訳には行きません。何か注文しようと思いましたが新居と言うこともありどこにお店があるものか分かりません。そして慌ててお店を調べたことを良く覚えています。
狭い部屋に数人が寿司詰め状態で昼食を取りながらお金の話や今後の話をしていました。私は疲れと眠さでボーっと話を聞いていたような気がします。そのボーっとする頭のままその数時間後には私の両親に見送られ成田空港にいました。ありきたりではありましたがハワイへ新婚旅行に出かけたのです。
私はこの新婚旅行が初めての飛行機でした。もちろん海外旅行も初めてです。何も不安を感じずにいられたのは元夫が一緒だったからなのでしょうか。やっとふたりだけの時間を持てることになった数日間はとても楽しい想い出となりました。多少の価値観のすれ違いや寂しさを感じていたものがこの新婚旅行で少し癒されたような気持ちになれたからです。
マリンスポーツが大好きな元夫にとってハワイは天国だったに違いありません。毎日マリンスポーツに明け暮れてふたりとも真っ黒になって帰国しました。マリンスポーツの合間にはふたりでショッピングをして歩きました。お腹がすけば気ままに食事をしてホテルに戻ると言う自由な時間でした。ふたりだけで過ごせる時間は元夫も私にとても紳士的で優しい一面をたくさん見せてくれました。
旅行と異国と言う解放感の中で自分自身も心にゆとりを持てていたのかも知れません。その時はきっと幸せになれると信じることが出来ていたのです。彼と一緒にいることが楽しいと実感出来ていたのです。そんな楽しい時間はあっと言う間に終わりいよいよ新婚生活が本格的に始まることになりました。楽しかった新婚旅行とは違い他人同士が一緒に暮らすと言うのは本当に難しいとすぐに理解させられました。
きっと自分自身も主婦になり家事や仕事を両立することに負担を感じていたのでしょう。彼の気持ちを考えてあげる余裕はなく自分の気持ちを理解して欲しいと言うことばかり考えていたように思います。元夫はサラリーマンでしたが帰宅時間はいつも不規則で何時に帰宅するか分からないような仕事でした。
私はフリーで仕事をしていたので基本的には自宅にいることが多く元夫が帰宅するのだけを楽しみに料理を作り待っていました。しかし、そんな私の気持ちは元夫には理解出来なかったのでしょう。仕事帰りに友人と合流して家に連れて帰って来ることが日常でした。
元夫の友人は誰もが気持ちの優しい良い人ばかりだったので友人が云々と言うことではありません。いつも遊びに来てくれると「あきちゃん、あきちゃん」とみんな私を可愛がってくれていました。それでも基本的には甘えん坊な私はふたりの時間が欲しかったのです。待ちに待って帰って来た彼に甘えたかった。
ここでも素直な気持ちを彼に伝えることが出来ずに溝を作ってしまっていたのです。休日も彼とふたりで過ごすことはほとんどありませんでした。いつも誰かが一緒です。新婚旅行の時に感じた満足感はすぐに消えてなくなってしまいました。やっぱり私のことを元夫はすぐに忘れてしまうと感じていました。
元夫はきっと家庭を持つタイプではなかったのかも知れません。自分の楽しい時間を奪われることを極端に嫌っていたからです。そんなことを薄々感じながらも月日は流れ結婚して初めての暮れがやって来ました。彼はもちろん仲間とのスキー旅行を計画していました。私は元夫の両親が地方から出て来ると言うのでいろいろと準備をしたかった。そのため今年はスキー旅行に行かないほうが良いと言ったのですが聞き入れてもらえませんでした。そして旅行から帰って来た私は慌ててお正月の準備をしましたが思っていた通り元夫の両親から非難されてしまいました。
でき合いのおせち料理など地方の人にとっては考えられなかったのでしょう。そしてお酒も進み元夫を婿に出した覚えはないと怒られました。私の実家が事務所を経営していたこともあり毎週のようにご飯をご馳走になりに出かけていたことや社員旅行に同伴していたことが元夫の父は気に入らなかったようです。
当然、元夫も美味しい物を食べて金銭面を気にすることもなくお酒を思う存分飲んでいたのだから私をかばってくれるものだと思っていました。ところが元夫はいきなり私の胸倉をつかんで「お前がそうさせてるんだ」と怒鳴りました。
私はびっくりして言葉が出ませでした。彼を愛していたのかどうかも分からない複雑な気持ちになってしまったのです。
そんな嫌な想い出を残したお正月も終わり普段通りの日常生活に戻り、しばらくは平穏な日々が続きました。私が動物好きなのを知っていた彼はインコを飼って良いと言い出しました。そして珍しくふたりでペットショップへ小さな雛鳥を買いに行ったのが懐かしく思い出されます。そのインコはとても人懐こく私が仕事をしている最中でも肩に乗ったり手に寄り添ったりして来るほどでした。
可愛くて可愛くて、元夫の帰りを待つ時間が短く感じられるほどでした。寂しさもまぎれて元夫への不満も落ち着いていたころです。突然、事故でそのインコは元夫が社員旅行中に亡くなってしまったのです。
私の寂しさは以前に増して感じられるようになって行きました。結婚しているハズなのに孤独感しか感じられない。複雑な気持ちでいっぱいでした。私たち夫婦はふたりで幸せになると言うことに縁がなかったのでしょう。インコの死から間もなく元夫は私の気持ちを逆なでするような行動を取ったのです。元夫の様子が可笑しいことに気づいてしまいました。車通勤だった彼が帰りに誰かを送っているようだと友人から情報が入ったのです。こそこそと送ると言うことは送っている相手が女性なのだろうと簡単に想像がつきました。
私は本当のことが知りたくて友人に頼んで元夫の駐車場で待ち伏せをしました。今思えば良くそんなことをする労力を惜しまなかったとその時の自分の若さをつくづく感じています。そして今思えば真実を知ることが何事においても全てではないと感じるようにもなりました。
待ち伏せの甲斐があってと思うべきなのでしょうか…元夫は女性を連れて車のところへとやって来ました。友人とふたりでこっそり尾行したのですが途中で見失ってしまいました。もちろん若かった私は帰宅した元夫に詰め寄って事実を確認しました。元夫はただケガをして運転が出来ない彼女を送っているだけだと言い張りました。
「ただ送っているだけ」と言う言葉にすら私は納得することが出来ませんでした。車と言えば密室だし助手席に私以外の女性を乗せていると思うと怒りを感じたのです。素直な私の感情が元夫を許せなかったのでしょう。甘えん坊の自分と焼もちやきの自分です。言葉が足りないことでふたりの会話は成立しません。お互いが素直ではなかったのだと思います。
その日を境にふたりは別々のベッドで眠るようになり私は裏切られたことをずっと許せずにいました。友人と朝まで飲み明かして無断外泊したこともありました。元夫もそれなりに心配はしていたのでしょうがそれ以上の詮索はしませんでした。そしてふたりでいることが息苦しくなった私は実家へと帰ったのです。もちろん実家の父は元夫をその時はかばっていました。
また、娘が家に帰って来たことも少しは喜ばしく感じていたのかも知れません。慌てずにゆっくりと話し合うようにとなぐさめられました。数週間後には元夫の待つ自宅へと帰ったのですが彼はまるで別人のようになっていたのです。兄のお店で初めて会ったときに元彼女を冷たくあしらっていた彼がそこには居ました。根本的には自己中心的で自分の想い通りにならない相手は元夫には必要がなかったのでしょう。
「なんで帰って来たんだ」と問い詰められ「実家で大人しくしてろ」と言われました。私が帰って来ることを望んでいなかったのだと思います。浮気ではないと言い張っていたけれどきっと彼女と過ごす時間が楽しかったのでしょう。私の息が詰まっていたのと同じようにきっと元夫も私との時間が息の詰まる思いだったのかも知れません。
ふたりの溝は埋まるどころかどんどん大きなものへとなって行きました。結婚してから1年半ぐらいが経っていたころです。本当の自分をさらけ出すことの出来ない怖さをその時に実感していました。それでもふたりは向き合うことはなかったのです。自分の家族が大好きな元夫はきっとお姉さん夫婦や両親に相談をしていたのでしょう。私と向き合う前に元夫はすでに違う方を向いていたのです。
ある日、お姉さんの家に呼び出されるとそこには元夫の両親が来ていました。私とお姉さんの旦那さんだけが部屋から出され家族会議が開かれていました。家族ではない部外者は席を外して欲しいと言うことだったのでしょう。お姉さんの旦那さんが私を心配してくれていたことだけが救いでした。
孤独を感じながら元夫にされ続けて来たことが頭の中をずっと駆け巡っていました。それでも元夫は自分を正当化しようと両親とお姉さんに訴えていたのです。自分が浮気と疑われるようなことをしたことを棚にあげて夫婦生活を嫌がる私を責めていたようです。
元夫との間に出来た赤ちゃんを中絶してから調子が悪くて夫婦生活が上手く行かなかったことは事実です。生理的に身体が受け付けていなかったのでしょう。そのことが不満だったのかも知れません。しかし、赤ちゃんが出来て中絶したこともすべてふたりの責任だと私は思っていました。
男性側だけの責任にするつもりもなかったのに元夫はまるで小さな子供のように両親やお姉さんに自己主張していると思うと情けなさでいっぱいになりました。もちろん結婚してから2年足らずの夫婦でした。そんなに簡単に離婚と言うことを考えてはいけなかったのかも知れません。
辛くて情けない日々は私にとって耐えられないものへと変化して行ったのです。元夫は私の実家に挨拶に行くこともなくただ自分の身内だけを味方に取り入れて簡単に離婚の話を進めました。私の両親もさすがに怒りを隠しきれなかったのでしょう。「慰謝料はもらうな」とだけ言って私が暮らせるようにマンションを一緒に探してくれました。お酒が好きな私の父は私を良く飲みに連れてくれました。そこで父は「辛いなら辛いと言えばいい」と私に言ってくれました。
もともと強がりで人に弱みを見せたがらない私は離婚の話が進んでからも両親の前で涙ひとつ見せていなかったのです。きっと元夫にも同じだったのかも知れません。強がって本当は甘えたいのにそんな素振りを見せていなかった。素直な自分をさらけ出すことが出来ないからすれ違いはどんどん増えて行ったのでしょう。
口では強がって笑顔で過ごしていれば元夫も私がまさかふたりの時間がもっと欲しいなどと考えているとは思わなかったのかも知れないと今は思っています。そのまま素直に自分の気持ちを伝えることが出来ないまま離婚することが決まりました。お互いにサインを済ませて市役所に提出すれば赤の他人に戻るだけでした。
「慰謝料はもらうな」と言った父は私が引っ越しをして心機一転やり直すことを進めてくれました。そして親友が暮らす近くでワンルームの小さなマンションを借りしてもらい兄の車で家財道具を買い揃えました。産まれて初めての一人暮らしでしたがその時は誰かと一緒にいたい気持ちにはなれませんでした。ひとりでそっとしておいてもらいたかったのです。引っ越しの当日もいつもと同じように元夫を会社に送り出しました。そして父や兄に手伝ってもらい引っ越しを済ませます。荷物を運び出したあとに鍵をポストに入れた時の気持ちは今でも忘れることが出来ません。幸せになろうと思った2年前のあの晴れやかな結婚式はなんだったのだろう。あの楽しかった新婚旅行はなんだったのだろうと考えさせられました。
それでも父や兄に心配をかけたくなかった私は笑顔でその日を過ごし夕飯を家族で食べました。父と兄が心配そうに一人暮らしになる私を置いて帰って行ったことも良く覚えています。初めてひとりになった夜は電気を消すことが出来ずにただ時間が過ぎるのだけを待っていました。ひとりになると強がって笑っていても悲しくて涙がこぼれて来てしまうのです。元夫への未練ではありませんでした。
元夫のペースに合わせていた2年間です。自分の友達と過ごす時間を持たなかったために元夫と共に友人も失ったも同然でした。孤独と言う言葉がぴったりでした。唯一家族ぐるみで付き合っていた自分の友人だけがそばにいてくれたのです。
新しい新居にも慣れた頃です。元夫から忘れ物があるからと言って電話がありました。新居の住所は一応伝えておいたので届けてくれることになったのです。私の新しい生活を多少は気にしているのかと思った私はバカでした。荷物を届けに来た元夫は部屋に上がり込んでビールを飲んで文句を言いたい放題言いまくって帰って行ったのです。
やっぱり離婚して良かったとその時に改めて感じました。価値観や好みがまったく違ったふたりだったことを実感したからです。最後のネチネチした元夫の態度を見てすっきりした私はふたりの幸せのために離婚して良かったんだと思えました。
そして心機一転仕事に真剣に取り組んで生きて行こうと思うことが出来ました。実家の両親が心配してくれていたこともありしばらくは実家の手伝いをしながら生計を立てていました。気持ち的にも落ち着きを取り戻した私はデザイン事務所に就職を決め泊まり込んで仕事をするまで気持ちを切り替えることが出来ていました。
子供がいなかったことも大きかったのだと思います。親権問題や経済面でも自分たちのことだけを考えればよかったからです。子は鎹と良く言いますが逆に考えれば中絶などせずに出産していればまた違った人生だったのかも知れません。そんな「もしも」などと考えても仕方がないのは分かっていても考えてしまいます。
その当時には分からなかったことが年を重ねると理解出来ることもたくさんありました。若気の至りだったと言うよりは人生のいい勉強をさせてもらった2年間だったように感じています。
風の便りに元夫も車で送っていた彼女と再婚をしたようです。それで彼が幸せになれたのなら良かったと心の底から今は思えるようになりました。私自身も再婚をして子供にも恵まれそれなりに幸せな人生を送って来ました。現在の夫ともいろいろなことはあります。
夫婦は他人同士ですから当たり前なのでしょう。それでも離婚の経験から我慢することも聞き流すことも学習している私は少しは賢く生きることが出来ていると感じています。家庭を大切にする気持ちと自分自身を大切にする気持ちを持てるようになったからです。
気持ちの切り替えをすることの大切さを親友が教えてくれたのかも知れません。家族は家族で大切な存在。親友は親友で大切な存在であり自分の時間を共有することが出来ることを今になって理解したようです。不器用な生き方しか出来ないと思っていても自然と器用さは身についてくるようです。孤独だと感じる時にそばにいてくれる人と出会えました。本当の自分をさらけ出して泣いたり笑ったり怒ったり出来る親友の存在が今の私を支えてくれています。もちろん家族と言う存在とは別な形ですが素直な自分をさらけ出すことが出来る人に出会えたことがいちばんの幸せだと感じています。
過去の自分も現在の自分もすべてを受け止めてくれる存在は私を癒やしてくれています。結婚生活と言うのは所詮他人同士が作り上げて行くものです。不平不満をどこでどんな風に解消出来るかがコツなのだと思います。夫や子供に何かを求めるのではなく自分の時間を大切にして行くことが幸せのコツとも言えるのではないかと感じています。自分が満足出来る日々を過ごしていると自然と笑顔になれます。ちょっとしたことに腹を立てずに済むようになります。そうすることが溝を広げずに平穏な日々を保つことに繋がるのだと思っています。
辛いことがあれば必ず楽しいことがあります。抜け出せないトンネルなどないと私は思えるようになっています。